味わう愉しむ

つくり手に聞く、東御の魅力と移住の話(前編)

二村雅彦
二村雅彦
INDEX
  1. 西洋野菜のパイオニア 宮野雄介さんとの対談が実現
  2. 宮野さんの経歴
  3. そもそも、なぜ東御で野菜を作ることになったの?
  4. 野菜づくりの環境からみる東御のリアル

西洋野菜のパイオニア 宮野雄介さんとの対談が実現

信州で生まれ育った旬の食材。そのつくり手に「東御暮らしのリアル」を聞くことが本記事の命題。

移住者で、旬の食をつくっていて、”東御のリアル” を語れるのは・・・アグロノームの宮野さんしかいない!ということで、心地よい風が吹く夕暮れ時、ライター二村と宮野さん、男2人で真剣に向き合ってのインタビューが実現しました。

対談場所は、小諸駅前にあるオシャレなガーデンカフェ「停車場ガーデン」。

 

宮野さんの経歴

宮野さんが経営する農園「アグロノーム」(東御市田沢地区)では、西洋野菜をはじめ、多品種の野菜を有機栽培しています。今ではすっかり信州に馴染んでいる宮野さんですが、生まれは東京都目黒区。

 

二村  農業への一歩目は、どのタイミングで?

宮野  もともとずっと興味はあって。神奈川県にある平塚農業高等学校に進学したあたりが、農業の道への一歩でした。

二村  高校時代はどんな感じでしたか?

宮野  自分だけサイコーに自由でしたね。緑化委員会を、実質ひとりで担当していました。花壇やプランターの手入れを覚えながら、校長先生や担任教師と一緒にシクラメン等の生花販売をして、ビジネスという感覚に触れたのもこの時です。生徒会と部活動6個をかけ持ちしながら、まるで”大学のような環境” で、自由奔放に過ごさせてもらいました。1998年に高校を卒業、布団だけ車に積んで、そのまま東御へ移動しました。

二村  そのままですか?

宮野  はい。文字通り、そのまま(笑)ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー(以下ヴィラデスト)に勤務しながら、エッセイストで画家の玉村豊男(以下玉村さん)の自宅に居候していました。僕の母方の祖母と、玉村さんの奥様のお母様が同級生だったご縁です。

 

『家庭画報』(株式会社世界文化社)で玉村さんの特集記事を読むまで、目の前でいつも大笑いしている玉村さんどれだけの人物なのかよく知らなかったという宮野さん。玉村さんの奥様から「布団は必要なかったわね」と言われたことは、今でも鮮明に覚えているそうです。

しばらくヴィラデストで農園経営を学び、2006年に「アグロノーム」として独立。「アグロノーム」は「農業技術者」や「農業学者」の意味で、こちらも玉村さんに名付けてもらったんだとか。今でも野菜の納品等で、ちょくちょくヴィラデストへ顔を出しています。

 

そもそも、なぜ東御で野菜を作ることになったの?

二村  なぜ東御で野菜をつくろうと決めたのですか?

宮野 移住のきっかけをひとことで言うなら、玉村さんとのご縁があったから。高校時代の経験を生かす場としてヴィラデストが最適だったんです。

二村  初めはどんな仕事をしていました?

宮野  玉村さんが毎年フランスから仕入れるトウガラシを育てて販路開拓したり、画材となる西洋野菜を栽培したり。ここでもビジネスの実践をする機会に恵まれました。

二村  ワイナリーということで、野菜以外にも経験することが多かったんじゃないですか?

宮野  そうですね。小西超さん(ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー代表取締役社長/栽培醸造責任者)と一緒にワイン醸造をしたり、ガーデンにあるオシャレなガレージを自作したり、畑の潅水設備を独学で設計したり。玉村さんの指導のもと、ここでも自由奔放にいろいろな経験を積ませてもらいました。

 

映画『ウスケボーイズ』に登場する浅井昭吾(ペンネーム:麻井宇介)さんから、直接ワインづくりの指導を受けたこともあるという宮野さん。同じく東御のワイナリー、cave hatanoの波田野信孝さんと出会ったのもこの頃で、同世代の移住者/生産者として今でもお互い切磋琢磨しているそう。こうした人との繋がりが、宮野さんに東御での独立を決意させました。

 

野菜づくりの環境からみる東御のリアル

二村  とあるデータでは、晴天率70%、令和元年の晴れの日数244日を誇る東御。野菜づくりをするにあたってこの環境はいかがですか?

宮野  降水量が少なくて、晴天率が高い東御は野菜づくりに最適です。ただ、ここ20年は温暖化の影響で、短い時間にバケツをひっくり返したような雨が降る “浅間夕立” (あさまゆうだち)が増えました。いわゆるゲリラ豪雨ですね。この辺の農家さんはいつも気にかけていますよ。それでも、ボクにとって東御は、野菜づくりにおいて理想の環境です。

二村  自然環境によって収入が左右される。まさに自然との共生ですね。

宮野  そうですね。ボクが移住した2000年前後は “白菜御殿” といって、白菜を出荷すればするほどお金になっていた時期があって、地下足袋のまま玄関で寝ている人もいたぐらい忙しく儲かっていたと聞いています。が、今ではあまり売れなくなって、子どもには継がせたくないと語る農家さんが多く、後継者不足なんです。

二村  だとすると、ここ近年の新規就農者は何をつくって生計を立てているのですか?

宮野  ブロッコリーやアスパラガスです。巨峰とアスパラガス、ブロッコリーとワイン用ぶどう、合わせてワイン自体も、という風に複数かけ持ちで生計を立てている人が多いです。

二村  宮野さんはどうやって生計を立ててきたのですか?

宮野 ネット販売なども挑戦しつつ、当初の繋がりを生かして地元のレストランに野菜を納品させてもらっています。納品の時は今だに、 “どこかのアルバイトの子みたいだね” と言われますが(笑)

二村  地元でとれた野菜を地元のレストランで食べてもらう。地産地消のモデルケースですね。新規就農者が野菜以外にも生計を立てる手段はあると思いますか?

宮野  複業で注目しているのは、カラマツの伐採です。戦後の経済復興による木材需要の増大とともに造林事業者が意欲的にカラマツを造林しました。しかし、ただ増やしただけではネズミ等の動物のエサを山に植えているようなもの。長年にわたってカラマツ林を放置したことで動物がどんどん増え、今では切ってほしい人がたくさんいます。新規就農者のもうひとつの商売として、カラマツ伐採もいいのではと思います。

二村  実は私も、家を建てる際カラマツを伐採してもらっていて。未だに放置されているので、片付けてもらいたい人、けっこういるのではと思います。

宮野  移住先で生計を立てながら、地域へとけ込んでいくための手段として、林業にも可能性がありそうですね。

 

近年耳にする機会が増えた“半農半X(エックス)”。 ここ東御でも、様々な可能性がまだ眠っているのかもしれません。
後編では、宮野さんのワインづくりや地域での暮らしについてもお話をお伺いしました。

▶︎後編へ

 

 

writer
二村雅彦
二村雅彦

東信州のローカルビジネスをサポートする株式会社アンド23を経営しています。店舗立ち上げから運営、PR・プロモーション・広報・イベント企画といった集客における課題を伴走しながら解決しています。旅行業登録もしているので、集客ツールとしての旅行業の確立にも挑戦中。ヨーロッパで自転車ロードレース選手をしていたこともあり、サイクリングイベントもこれから積極的にやっていきます。東信州のパンやスイーツ、ワインが大好きで、打ち合わせは軽く飲みながらやることも。オフィスやカフェでまったりと仕事、私事、志事していますので、どこかで見かけたらお気軽に声かけてくださいね。